貧困・自殺・看取り・葬儀 目の前にある現実を受け止めて、人として何が出来るか。中下大樹の取り組みを発信していきます。

対談紹介
第二回 中下大樹×稲葉剛(特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター・もやい 理事長)
タイトル 問われていると感じています。 一人ひとり、私達に何が出来るのかを。

対談風景中下 稲葉さんは現場の中で、支援活動を続けている、私の尊敬する方の一人です。稲葉さんに、資料を作っていただいていますので、それにそってお話しをしていただきます。



対談風景稲葉 もやいでは、活動の一つとして、ホームレスの方々の住まいをお世話しているんですが、アパートに入られた方の中で、亡くなられる方がいるんですね。最近NHKでも『無縁社会』という番組を放送しましたが、1年間に自殺で亡くなられる方が3万人くらい。そのうち、無縁死といって、名前もわからない方が1000人くらいいるんです。ホームレスの方のほとんどが、家族や友人との関係が切れている。そういう方の葬儀は、支援者等でしていますが、簡単な葬儀しかできないし、行政が用意した納骨堂に入る。私も何回か立ち会ったことがあるのですが、非常に寂しい思いをしました。
 家族が来られないにしても、この方の縁があった人たちが集まって、みんなで送り出せないかと思いました。そこで、3年前くらいから葬儀関係の方にご協力を頂き、葬儀をしています。その活動の中で、中下さんとの出会いがありました。
 今日はいのちのフォーラムということなので、僕自身が出会った、一人ひとりの方の話しを中心に出来ればと思っています。


●支援を始めたきっかけ

対談風景稲葉 私が生活困窮者の支援に関わったのは1994年。新宿西口を出るとロータリーがありますが、地下道にダンボールハウスが立ち並んでいた時期があったんです。93年から徐々に増え、ちょうど都庁が新宿に移転したばかりのころに、「けしからん」と、東京都が定期的に排除していました。寒い時期には、せめて雨露がしのげればと、地下道に集まってくるんですが、それをトラックで路上廃材撤去作業、路上に落ちているごみを撤去するといって、ダンボールハウスをどんどん壊していくんです。
 あるとき、私も現場にいたのですが、ダンボールハウスを持っていない方がいて、毛布1枚、ボランティアから貰った毛布に包まって路上で震えていたんです。そこに東京都のトラックが来て、その方の毛布を剥ぎ取ってそれをトラックの荷台に放り込んで、人間は置き去りにして去っていった。当時は地下道から追い出され、餓死したり、凍死する方が珍しくない状況でした。路上生活の方にお話しを聞くと、皆さん、次は自分が殺されるのではないかと危機感をもって生活しているような状態でした。
 しかも、東京都は追い出しをするだけで、その後については関知しない。その後は、新宿区の福祉事務所が担当なのですが、当時は具合の悪い人が窓口に行っても、「自分で働けるでしょ。」「自分で稼いで病院に行きなさい」と追い返していたんです。路上生活をしていると、どうしても体がぼろぼろになってしまうんですね。しょっちゅう救急車を呼んでいました。餓死寸前の方で病院に運ばれて点滴をしてもらうんですけど、病名が付かない。低栄養という病名しか付かない。時には、すでに亡くなっているということもありました。非常に厳しい現実を目の当たりにし、何とかしないと、と。


生活困窮者の方との関わりの中で

対談風景稲葉 私自身はもともと広島の出身で、母は、10歳の時に疎開先で原爆にあいました。疎開先の学校の校庭から広島市内に落ちたきのこ雲を見た、と聞いています。母は今でも元気でやっていますが、親戚とか知り合いの方が何人か亡くなっています。そんなこともあり、学生時代に湾岸戦争の反対運動に関わるようになりました。もやいの理事をしている湯浅誠とはそのころに出会いました。湾岸戦争では、人間が理不尽に殺されている、命がないがしろにされているという思いを非常に強く感じましたが、自分の国のこととは考えていなかった。それが、新宿に行ってみたら、足元で人が死んでいった。
 当時、ある20代の若者が新宿でホームレスをしていました。私達が東京都の追い出しに反対するちらしを撒いていたときに、都庁の職員に、彼に当事者として何か言ってもらおうとしたら、「おかげさまで人が死にました」「おかげさまで今日も仲間が一人死にました。本当に、皆様のおかげです。」と痛烈な皮肉を言ったんですね。行政が追い出しをすることで人が死んでいく現実がありました。
 しかもその人たちを追い出すのに、私達の税金が使われている。私達の税金がこの人たちを殺すのに使われている。それですごくショックを受けた覚えがあります。
 また一方で、ホームレスの方と付き合う中で、その方たちが、社会的に孤立した状況の中で、自分達で支えあって生きているということに大きな驚きを感じていました。配りました資料の中に、ホームレスを経験された方の言葉を書きましたが、いくつか読んでみますね。
 この方はよくこういう歌を書くんです。


『いさむさんの作品
にぎり飯 一つを仲間(とも)と 分ち合ひ』

 ホームレスの方は、何人かでグループを作っているんですが、中には高齢で働けない、動き回れない方がいる。中には若い方がいる。そうすると若くて元気な方が日雇いの仕事をしてお金を稼ぎ、みんなの弁当を買って帰ってくるんです。その間、高齢の方はみんなの荷物番をしている。そういう社会から排除された方たちが、肩寄せあって助け合って生きている。最近出した『ハウジングプア』という本の中にも書きましたが、ホームレスの方は、冬になるとダンボールハウスを作るんですが、中に持ち主の決まっていないダンボールハウスがあるんです。それは、世の中から、社会からはじき出されて野宿になる方がいるだろうと、そういう方がここにたどり着いたときのためにと用意してあるというんです。
 これはすごいなと思いました。私は支援する側としてその方々と関わりを持っていましたが、逆に、社会の側がそういう方たちに学ぶべきではないかと思った覚えもあります。


●もやいの活動
対談風景稲葉 そうした中で、野宿している人たちを支援する対策の一つとして、施設を作り、そこに入ってもらって、住所を設定し、仕事を見つけ、お金を稼いで、アパートを借りる。そういうシステムが必要だと。行政にも早くそうした施設をと要請して作ってもらいました。ですから施設ができたときには歓迎して、私が知っている野宿の方たちも何人か入ったんです。  
 施設に入った後も定期的に面会に行き、応援していたのですが、そこで一つ問題が起きました。仕事がきついということはあっても、なんとか我慢してと励まして、アパートに入るための資金はたまる。でもアパートに入る時には保証人が必要なんですね。ホームレスの方々ですから保証人が見つからない。だからせっかくお金を稼いでも、施設から出るに出られない。アパートを借りられない。それを何とかしなくてはいけない。当時、もやいとしてはまだ活動していなくて、僕は新宿を中心に支援活動を。湯浅のほうは渋谷で同じような活動をしていたのですが、各地のメンバーが集まって、最初は東京都に交渉しました。が、結局何もしてくれない。じゃ自分達でやろうということになり、保証人を何とかしようというプロジェクトを立ち上げました。それが「もやい」としての最初の活動です。
 この問題については人間関係の貧困ということで講演会等でもよく話をしているのですが、生活に困窮した人たちというのは、失業していますし、家も無いですし、生活の糧となるものが足りない。目に見えるものが欠乏しているのですが、同時に目に見えないもの、人とのつながりが断たれる方が多い。特に男性の場合、働いている間は、職場の中だけの人間関係だけで完結している。仕事以外で人間関係が作れない。地域とのつながりや家族とのつながりができない。家は帰って寝るだけという状況の中で失業したら、一人ぼっちになってしまったと。ですから、そういう方たちがやり直そうというときに、保証人がいないとか、いざという時に助けてくれる人がいない、SOSを出す相手がいない。日常的なレベルでグチを言う相手がいないということになるんですね。
 「もやい」を作るときには、経済的な貧困だけでなく、人間関係の貧困にも対応していこうと考えました。路上生活をした経験した人だけでなく、ドメスティックバイオレンスの被害を受けている女性や、障害者の方たち。この九年間でいろいろな方々の保証人を引き受けてきたという経緯があります。
 もやいとはすごくいろいろな活動をしている団体でして、アパートの保証人問題から、入った後の生活やアパートに入った人が集まる場所の提供もしています。最初からこうと決めてということではなくて、ある意味行き当たりばったり(笑い)なのですが、そのときに出てきた課題に応じてやってきたら、こうなった。私たちが出あった一人ひとりの人。その人の生活とか、その人がかかえている困難に寄り添っているうちに、いろいろな課題が見えてきて取り組んでいる。



●人と人とのつながりをキーワードに
 配布した資料の中で、KさんとOさんの言葉を紹介していますので、読んでみます。

『Kさんの言葉 

毎日、朝起きるのがつらくて、寝たままテレビを見ていると、なんか外の世界と自分がつながっている感覚がなくなってくるんだよね。自分がエイリアンにでもなって、外から世界を眺めているような感じ』

『Oさんの言葉

自分の部屋を失ったことによって、それまでとっていた写真のアルバムや、中学時代からの住所録を全部なくしちゃったんですよね。それで何か、『守るものがなくなった』ような感覚になっちゃって、ふらふらしてしまったというか…。それからはどこに行っても落 ちつかないんですよね。
ほら、うさぎは淋しいと病気になるって言うでしょ。毎日誰とも話をせずにいたら、そのせいで具合が悪くなっちゃったみたい』


 二人とも、生活が困窮して、もやいに相談に来られた方です。二人とも病気をかかえていて、生活保護を受けてなんとか生活しているのですが、近所との付き合いが無い。生活困窮者の方の多くがそうだと思うんですが、自分と社会がつながっている感覚が無くなってくる、とおっしゃっていました。また、Oさんが話していたんですが、Oさんはかつてアパートで暮らしていて、そこを追い出された。そのときに、何が一番辛かったかというと、自分の部屋を失うことによって、アルバムや中学時代からの住所録、全部失う。それが一番辛かったというんですね。それによって自分が守るものを失ったという感覚になって、フラフラしたと。糸の切れた風船のようになったと。
 つながりがなくなるということは人間として一番辛いことなのかなと。こうした方の言葉から学びました。
 その後、飯田橋に「こもれび荘」という一軒家を借りまして、サロン活動を始めました。ボランティアの方も含め、みんな色々な経験がありますから、それぞれに腕を振るってもらって、喫茶店みたいなことをしています。コーヒーが100円、ランチが300円。毎週土曜日に活動しています。そこに、私達が保証人になってアパートを借りた人とか、近所にお住まいの高齢の方等、毎週30人くらいの方が集まっています。
 行き当たりばったりといっても、そうですね。つながりを一つのキーワードにして活動していますね。

●命に対する眼差し

対談風景中下 稲葉さんは、見たとおり温厚そうなんですが、怖いなと思ったことがあります(笑い)。それは、府中市でホームレスの方の襲撃事件があって、その追悼集会があった時に、「こういうことがあってはいけないんだ」という顔をされていたんですね。そのときに、人の命に対する真摯な眼差し、というか、一人ひとりに対して、命に対する温かい眼差しを感じました。正直言うと、僧侶の私にとって人の死は日常のことで、私自身感覚が麻痺していたなと。

対談風景稲葉 府中の件は、その後容疑者が逮捕されていますが、実はこういう事件は、しょっちゅうあるんです。昨年も江戸川で2件襲撃事件が起こっています。幸い命は取り留めたんですが、二人とも大怪我をおっています。
2年位前からホームレス問題で、支援者のメンバーや学校の先生等に協力してもらって、各地の学校で授業をやっていこうと取り組んでいます。私も何回かお話をしていますが、社会の矛盾が、根っこの部分にあると思っています。
学校で話をするときにはいろいろなエピソードをお話します。
その一つに、あるホームレスの方が病院で亡くなったときに、その方の名前がわからない。病院では、名前がわからないから、新宿太郎といわれていたというんですね。そして、どこの誰かわからないまま埋葬されている。
人間関係の貧困が、行き着くところまで行くと、生きている段階で、すでに社会的には死んでいたというか。どういう人生を歩んできて、どういう仕事をして、どんな生活をしてきたか知っている人がその人の周りにいない。そのまま死んでいく。それは悲しいことだなと。
話を聞いた子ども達からは、いろいろな感想文を頂いています。昨年の3月。新宿区内の大きな公園に、ホームレスの方がたくさんいるんですが、そこに小学生がビービー弾を、遊び半分でぶつけるということがあったんです。学校から要請があり、4年生を相手に話をしました。


子ども達からの声

『だから私もじゅくの先生におこられたときには、そんなにべんきょうをやりたくなかったら公園とかでねて、いつもべんきょうもしないで遊んでばっかりのホームレスになるよと言われました。お母さんには、もうこの家から出ていってママのいうことも先生のいうことも聞かなくていい ホームレスになりなさい、とかホームレスを悪くいっています。』

『あと私がホームレスを悪くみたきっかけ(理由)はもう一つあります。それは私がもっと子どもだったころ ホームレスにミニサイズの牛にゅうをわたしたことがあります。なぜならそのころ私は人なつっこくてだれにでも話かけられてたから、あるホームレスの人に話しかけました。そしたら笑顔で話しをしてくれました。最後におじさんが「おじさん三日も水だけでくらしてたんだ。だからおなかがすいてるから もうあんまり話しかけないでね」と言いました。私は「そしたら牛にゅうあげようか?」と聞きました。そしたら「ちょうだい」といったので、家からチョコパンと牛にゅうをわたしました。そしたらすごいいきおい食べていました。私はそのころ人をよろこばせる、わらわせることが好きだったから[中略] うれしそうにすごいいきおいで食べるおじさんのことを見て私はうれしかったです。でも家に帰ってママにその事を話すと、「おじさんたちはこわいからそういうことしちゃだめよ そのおじさんもわるい人かもしれないからねと言われました。それでホームレスのおじさんはみんな悪い人なんだ、と思いこんでいました。でもこんかいのいなばさんの話を聞いて、ホームレスの人は悪くないんだ。ただ私たちとちがうところは家がない、仕事がないだけなんだ。あとみんなと同じところこもあるんだ、という事がわかりました。もうこれからホームレスは悪いとは思わないと思います。」

と、書いてくれているんですが、もともと子どもは困っている人がいたら、何かしてあげたいと思って、この子のように自分から行動を起こしたりするんですね。でも、大人たちは「それは危ない」と止めようとする。それによって子どもたちが本来持っている力が奪われてしまっていると感じています。確かに悪い人もいるから気をつけなくてはいけないんだけれど、そういう教育だけでいいのかなと。この子がホームレスのおじさんをなんとかしたいと思ったのはすばらしいことじゃないの、と。そこを伸ばすような教育をぜひやってほしい。
 また高校生の子が書いてくれた感想文もあります。

『私は今まで何回か ホームレスに食べものをあげるボランティアにさんかしたことあります。ホームレスの人の中にはこわくて、すぐおこりそうな人がいますが 中にはちゃんと やさしくて、おもしろい人たちもいました。そのやさしい人たちはいろいろなおもしろい話をしてくれました。ですが今まで名前を知ろうとはしませんでした。稲葉さんの話をきいてきがついたことです。』

 日本で暮らしているイギリス人の友達に、ジェフ・リードさんという画家がいて、彼はホームレスの方の似顔絵を描いているんです。私が言葉で伝えることを、彼は絵で表現している。彼の絵を見ると一人ひとり本当に違うんだなということがよくわかります。私は子どもたちに、ホームレスという人がいるんじゃなくて、ホームレス状態の人がいるだけなんだからちゃんと一人ひとりを見てね、という話をするんです。みんなと同じように、一人ひとり名前があって顔があるんだよ。自分の命を大切にしよう、自分の命を大切にすることが、他の人の命を大切にすることにつながるんじゃないかという話をします。
 感想文の中で嬉しかったのは、
『私は、今回の稲葉さんの講演を聞いて、とても感動しました。何故なら、ホームレスの人たちにも色々なおもしろい人々がいるのが分かって、稲葉さんはきっとその人達のそういう所が好きなのだと思ったからです。何にせよ、色々な人々と関わりを持てるのはいいなと思いました。』

また、胸に突き刺さった感想もあります。
『ちゃんとがんばって働こうとしている人、それを助ける人がいることを知りました。そういう、がんばる人はえらいと思うので、日本にいてもいいと思いました。がんばらない人は日本にいなくていいと思いました。』

 この子はすごくしんどいものを抱えてるんじゃないかと感じました。頑張らなくては生きていてはいけないと、日本にいてはだめだ、と。そういうことを他者に対して言うということは、同じ眼差しを自分にも向けている。具体的にこの子がどういう環境におかれているかはわかりませんが、そういうふうに自分をも追い詰めている、この子自身の姿が見えて辛くなりました。こういう子にこそ、伝わるような言葉を探していきたいなと思いました。
 頑張らないと生きてはいけないのではなく、いのちを肯定できる社会。生きていていいと思えるような社会にしていきたいなと思います。

様々な問題をかかえている

対談風景中下 
そうですね。ホームレスの襲撃事件にしても引き起こしているのは子どもですが、子どもは大人の影響を受けている。こういう話になると政治が悪いという話になるが、われわれ自身の問題もあるということを考えないといけない。    
 火災で多くの方が亡くなられた、群馬県渋川市にある「たまゆら」に、先日行ってきました。火事で亡くなった10名の方のうち東京出身の方が七名いました。稲葉さんたちと一緒に追悼の法要をしてきたんですけども、住み慣れた町に住めないという現実が、東京ではあるんですね。

対談風景稲葉 パトロールをしている中で、具合の悪い方がいると、区役所に話をして入院させてもうことがあるんですね。でも、退院する時に受け入れる施設が東京にはないんです。かといって高齢者の方が入れるアパートも無い。福祉事務所の人も悪気があるわけではないし、一生懸命に片っ端から連絡して探してくれるんですが、ようやく見つかるのが群馬や栃木。私が関わった方でたまゆらに入った方はいませんが、路上で出会った方が、送られていたとしても、おかしくなかったと感じました。
 これは福祉事務所の問題だけではない。住宅問題もあるし、医療や介護の問題もある。

対談風景中下 根が深い問題で一人を悪者にしても何も解決しない。
 稲葉さんの本『ハウジングプア』、44ページに書かれていますが、 「私達はある社会問題に関心を持ち、その問題を見ようと現場に行くのだが、貧困問題の場合、現場に問題が転がっているわけではない。そこにいるのは巻き込まれてしまった一人の人間なのだ。だから貧困問題の現場では一方的に自分が見たり、発したりするだけではなく、逆に自分が見られたり、自分の立場を問われたりということになる。ぜひ現場に足を運び、見る見られる、問う問われる、という関係の中から自分に何が出来るかを考えてほしい。」
 これは、すごく大事なことだと思います。

見られている。問われている

対談風景稲葉 僕が関わるようになった94年当時は、ボランティアというのは一般的ではなかったんですね。その後に阪神淡路大震災があって、日本の中でボランティアが社会的に認知されるようになりましたが、当時はその前で、しかも分野がホームレスの支援ですから、よっぽど奇特な人がやっているような印象だったと思います。  
 社会的な認知も無く、当事者の方からも何をやってくれるんだ、と冷ややかな反発もありました。ホームレスの方は、社会的に排除され、福祉事務所でも、路上や公園からも排除され続けた方。行政に対しても社会に対しても不信感がある。僕は、その方たちから見られている、問われているという意識がすごくありました。
 その後ボランティアという存在が一般的になって、社会的にも広がって、学生や主婦の方が来られるようになりましたが、来ました、見ましたというだけでなく、そこから自分に何が出来るのか、見たことを通して、社会の一員として、どう向き合うか、問われていると思います。

対談風景中下 私もショックを受けたことがあります。僕は日曜日の深夜午前2時から6時まで自殺に関する電話相談を受けているんですが、相談者さんから怒鳴られることもあるんですね。それに返す言葉が無い。「お前なんで生きてんだよ」とか。電話で顔が見えないから、ずばっと聞かれる。自分自身の存在そのものが問われていると感じますね。
 『ハウジングプア』の中で稲葉さんが体験談としてあげているんですけど、ダンボールハウスの火事の件があった後ですかね。
「自らが正しいと思って活動してきたことが、結果的に仲間の死を呼び寄せたことをしばらく私は受け入れられなかった。正直なところ今でも否定したいと言う気持ちから逃れられない。それでも活動していこうと選んだ私は、つながりだけでなく、安心したくらしを提供するためには何が必要か。自分が正しいと思って行動した結果、違う方向に行ってしまうこともあるが、そこを越えていかなければいけないのかな。」と。
 また、あとがきに、象徴的なことが書いてあるので紹介しておきます。
「安心した住まいを失い、貧困で不安定な生活から抜け出せないまま、人生の最後の瞬間を迎える人は何を思うか。その人生がどんなに過酷なものであったとしても最後は安らかな気持ちで逝ってほしいと私は願う。が、しかしその思いがどんなに一方的で、どんなに都合の良いものであるか、私は知っている。」

対談風景稲葉 一番問われているなと思うのは、亡くなった方から問われているなと感じますね。貧困のために亡くなるということがないようにと活動していますが、指の間から零れ落ちるように亡くなる方がいる。自分がもう少し何とかしていればと思うこともあります。でも、そんな風に思うこと自体が傲慢じゃないかとも思います。
 今日は、路上で人が亡くなる、自殺で亡くなる方がいるという話をしてきたんですが、こういう問題を社会的に語ることにジレンマをかかえてもいます。
 例えば自殺者が年間で32000人。新宿の路上でもおととし21名の方が亡くなりました。僕は一方で、一人ひとりを大切にしたいという思いがあってこういう話をしていますが、社会に対して問題を訴えるためには、死者をカウントしなくてはいけない。それは、亡くなった方一人ひとりに対して傲慢だなという思いがある。
 32000人分の1ではなくて、一人ひとり違う人生があった。でも、社会問題として訴えるためには数字として出していかないといけない。ジレンマを感じています。
 でも、こういう話をしなくてもいい社会にするためにも、今は言っていかないと、と思っています。


対談風景参加された方の声
●ホームレスについて、ホームレスでも頑張る人は日本にいていいが、頑張らない人は日本にいなくていい、という内容の話を稲葉さんがしましたが、厳しい意見だと思ったと同時に稲葉さんが、この子は人にそれだけ言うということは周りから言われていて、自分自身にも言っている旨の言葉にはっとさせられました。物事の視点を変えると、違った大事なことが見えてくることに気がつきました。


●自分に何が出来るか、社会の一人として、私に何が出来るのか考えて、やれることをやっていきたいと思いました。素晴らしい時間でした。気付きをありがとうございました。

●自分に何が出来るか出来ないか。まだ未知数ですが。自分の問題として今後もつながっていきたいと思います。

●貧困の問題から、住居・ジェンダーの問題・死・医療・教育・行政などに対する課題を改めて感じました。


中下大樹の感想
非常に濃密な時間でした。生きていると、時々、もう何もかも嫌になってしまうことが私にはある。そんな時、この対談での稲葉さんの言葉を読み返そうと思う。生きる力が湧いてくると思うから。合掌